検索結果『社会貢献』
東京貨物ターミナル駅・総合物流施設建設
遡ること2015年10月15日。JR貨物は一つの発表を行った。 竏秩w総合物流企業として発展する布石として、国内最大級となる大型物流施設を開設し、物流の効率化、冷蔵冷凍倉庫機能やeコマース市場への対応など、時代のニーズに合わせた物流サービスを提供する新たな物流拠点にするとともに、鉄道事業との相乗効果をより一層生み出していく』竏窒アのメッセージが今まさに、現実になろうとしている。
PROJECT STORY
鉄道貨物輸送新時代を築く、『イオン号』実現プロジェクト
2014年12月14日。晴天に恵まれた東京貨物ターミナル駅に、高らかな汽笛が響いた。鳴らしたのは、企業間共同輸送という新しい鉄道貨物輸送のカタチを具現化した、24両編成の『イオン号』だ。
PROJECT STORY
『DD200 形式電気式ディーゼル機関車』開発
1966年に誕生し、国鉄時代から非電化区間の貨物列車牽引および駅構内での入換作業の双方を行える機関車として全国各地で活躍してきたのが、DE10形式液体式ディーゼル機関車。長年にわたって、鉄道貨物輸送を支えてきた車両だ。
PROJECT STORY
ゴミ焼却灰再利用に向けた輸送プロジェクト
循環型社会、エコ・リサイクル。環境問題への社会的関心が高まるなか、いわゆる静脈物流へのニーズが高まり続けている。静脈物流とは、モノの製造過程や輸送、販売過程で生まれる産業廃棄物や、それ以外の一般廃棄物輸送のことである。
PROJECT STORY
技術支援から事業化へ。JR貨物の海外展開加速。
すべてが強烈だった。その国に足を踏み入れた刹那、鼻腔の最深部にまで、味わったことのない刺激が流れ込んできた。2005年11月、深夜。デリー国際空港。西村は、人生で初めてインドの地を踏んだ。
PROJECT STORY
JR貨物を強くする収益の最大化を目指す。
私のJR貨物でのキャリアは、九州からスタートしました。最初に配属された北九州貨物ターミナル駅では、コンテナが正しく輸送されているかを管理する駅のフロント業務に携わり、現場を肌で理解していきました。
MEMBERS
走り続ける。新しい景色を見るために。
JR貨物は「総合物流企業へ」という経営方針を打ち出していますが、その実現にはJR貨物という会社単体では難しく、多様な強みを持つグループ各社との連携が不可欠です。
MEMBERS
デジタルで鉄道貨物輸送を革新する。そこに私のアイデアが問われる。
大学院で情報科学を専攻していた私が、なぜJR貨物を就職先に選んだのか。それは、就活を通して「この会社ならITで面白いことができそうだ」と強く感じたからです。
MEMBERS
現場へ足を運ぶからこそ、本当に大切なことが見えてくる。
「将来生まれてくる自分の子どもや、未来ある若い人たちのために働ける仕事に就いたらいいんじゃないの」。就職活動中、自分が何を目的に働きたいのか思い悩んでいた私に母はこう言いました。その言葉が私の会社選びの軸になったように思います。
MEMBERS
日常にある幸せを、皆の力で奏でていく。
就職活動では、たとえ小さなことでも誰かを幸せにできることを積み重ねていく仕事がしたいと考えました。そして、人々の日常生活に近い存在でいられる会社に行こうと決めたのです。
MEMBERS
舞台は世界。JR貨物の未来を切り拓く。
2021年9月、JR貨物にとって初の海外拠点となる駐在員事務所がタイのバンコクに開設されました。私はその初代所長としてバンコクに赴任し、現地で指揮を執っています。
MEMBERS
自ら考え、創っていく。失敗もあるが、仕事の楽しさの醍醐味。
やったことのないことをやり、見たことのないものを見る。そんなことの連続である人生がいいと、学生時代の私は思いました。そうして、多様な職種があり、普通の会社員には絶対できない経験までできるJR貨物へ入社。
MEMBERS
世界初に挑む。世の中をより良くするために。
就職活動では、ものづくりの世界に行きたいとは考えていましたが、実は鉄道はまったく視野に入っていませんでした。生まれ育った鹿児島県徳之島は離島で、鉄道など走っていませんでしたし(笑)。た。
MEMBERS
小さな変化の積み重ねが、やがて大きな力になる。
JR貨物では主な鉄道施設の保守・工事を、全国各地にある保全技術センター・メンテナンスステーションおよび工事管理事務所・工事支所と、本社にある保全工事部とが連携して推進しています。
MEMBERS
プロジェクトを牽引する喜びと、現場で汗を流しながらつかむ喜びと。
学生時代は、津波や洪水などを中心に防災にまつわる研究をしていました。もともと人間の生活を安全で豊かにし、下支えするような分野に関心がありました。就職活動でも社会インフラに関わる仕事がしたいと考えていましたが、鉄道会社は当初、志望度が高いわけではありませんでした。
MEMBERS
数十年後も胸を張れるものづくりを。
ものづくりの魅力に取り憑かれたのは高校時代。二輪の運転免許を取得し、アルバイト代を貯めてバイクを購入したんです。エンジンや足回りといった部品をいじっては、走り、「ちょっと今ひとつかな?」と感じたらまた直す。
MEMBERS
駅業務を知り尽くして、将来は海外へ。
大学では国際学を専攻し、主にASEAN諸国の政治情勢について研究していました。実は幼い頃にシンガポールで暮らした経験があり、個人的にASEANに親近感を抱いていたこともあって、将来はこの地域に何か貢献できる仕事がしたいという想いがありました。
MEMBERS
「運転士」を究め、その経験をJR貨物の発展につなげたい。
子供の頃から鉄道が好きでした。学生の頃、たまたま古い機関車が長大な貨車を牽引している光景に遭遇し、その力強い姿に惹きつけられました。
MEMBERS
多様性の塊。この組織をいかに育てていくか。
就職活動では、「老若男女、すべての人に必要とされる仕事がしたい」と思い、いろいろな会社を見ましたね。印象的だったのは、会社説明会です。多くの企業が立派な会場を貸し切ってきらびやかな説明会を開催していたのですが、JR貨物の説明会は、豪華絢爛とは決して言えない貨物駅構内にある研修所で行われました。
MEMBERS